執筆者: 木ノ下 千栄(きのした ちえ) |
◆京都の三大祭の最後を飾る・・・
京都の三大祭りといえば、5月の「葵祭」7月の「祇園祭」そしてこの10月の「時代祭」です。三つの中で最も若いこのお祭は、明治28年に平安遷都1100年を記念して始められました。桓武天皇が長岡京から都を遷した日が10月22日だったので、現在もこの日に執り行われています。 私の通っていた高校では、毎年この日になると社会(歴史)のおじいちゃん先生がいつも、「おまえたち、なんで授業にちゃんと出てるんや?京都のもんが時代祭見にいかんでどうする?今日休んでも、時代祭見にいくんやったら大目にみたる」とおっしゃっていました。今考えるといい先生だったなーと思います。この日は社会・歴史の先生もお墨付きなのです。それほどこの時代祭は京都の人にとっては大切なもの。平安時代から明治時代までの風俗を再現し、京都御所〜平安神宮までを約2000名もの仮装した人々が行列します。 ◆伝統工芸技術の精華 もともと明治28年は平安遷都1100年を記念して平安神宮が作られた年でもあり、その記念事業として時代祭は始められました。「なあんだ、単なる記念イベントか」と馬鹿にしてはいけません。このお祭は明治維新によって首都が東京へ変わり、肩を落としていた京都が町おこし事業の集大成として創始されたものです。「京都をおいて他には真似のできないものを」という京都人の心意気が詰まっているだけあって、1万2000点にもおよぶ衣装や調度品、祭具は全て、綿密な時代考証が行われて作られた本物なのです!京は千年の都。その長い歴史が培った伝統工芸技術があってこそ、このその生きた時代絵巻は現代によみがえったのでした。 ◆長ーい長ーい行列、その長さは? ところでみなさん、2000人もの人々が集まるとその行列自体の長さはどれくらいになると思いますか? 驚くべからず、なんと2キロにも及ぶのです!この2000人もの人々は、京都市全域からなる市民組織「平安講社」の方々。時代祭を始めたころは総人数500名程度の規模だったそうですが、現在は明治維新、江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、平安延暦時代の7つの時代を編成するまでになりました。また江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列は京都五花街(「上七軒」「先斗町」「祇園甲部」「宮川町」「祇園東」の五つの歌舞会)が順番にご奉仕されるなど、現代きっての一大行列となっています。 当日は高く澄んだ空に皷笛の音が響き、維新勤王隊を先頭に、明治維新から平安時代へと行列の時代風俗は順次さかのぼります。行列は、
アメリカからの留学生の女の子をお世話をしていたとき、こんな出来事がありました。 私は彼女を時代祭を見に誘いました。京都の文化に触れる機会だと思ったからです。すると思いがけない返事が返ってきました。 そのとき私はピンときました。なるほど、彼女はアメリカのパレードを例に時代祭を理解しているのだろうなと。実は私も高校時代にアメリカに1年間留学していたので、分かるのですが、アメリカではいろんなところで毎週、町のパレードが行われます。地元の高校や中学生のバンドチームが、交響楽を演奏しながら練り歩くのです。ですからアメリカ育ちの彼女にしてみれば、パレードは小さいころから参加してるし、いやというほど見飽きている、なんで日本に来てまでそんなパレードなんかを見にいくの?」と思ったのでしょう。 英語には時代祭の行列の意味をそっくり表す言葉が見当たりません。英語の「パレード」と時代祭の「行列」はその目的が全くちがうのですから・・・。 もともとこの祭の本当の意味は、この壮大な行列が神幸列にお供えする祭列であるということで、行く先の京都の民衆の「平安を祈る」祭礼なのです。桓武天皇と孝明天皇のご神霊を頂いて京都を巡行するのも、現代の市民の暮らしぶりを親しくご覧いただくことを目的としています。ですからこのお祭はいわば京都人の静かな祈りなのです。だからパレードと呼ばれると京都人としてちょっぴり悲しくなってしまうのです。 ◆時代祭有料観覧席 ゆっくり座って行列をみられる有料観覧席もあります。時代祭を存分に楽しめます。 ◆場所・日時(※各行事の日程は、天候等の理由で変更になる場合があります。) 平安神宮(〒606-8341 京都市左京区岡崎西天王町97) ◆交通 平安神宮へは |
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